「そもそもお前どんなやつやねん!?」ーうごきスムーズ整体院院長自己紹介ー

 こんにちは、南森町の「うごきスムーズ整体院」の岡田明彦です。

 今までブログを続けてきましたが、あまり、というか全く自分のことについて書いていませんでした。なので、今回は自己紹介を詳しくしていこうと思います。

理学療法士になるきっかけ

 僕は、東大阪生まれの東大阪育ちです。高校1年のときに左足を骨折し、手術しました。このとき、松葉杖での歩行訓練を理学療法士から受けました。これが、僕と理学療法士との出会いです。ほんの10分〜15分の間の出来事です。しかし、この時はなんとも思いませんでした。その後、高校3年生にあがる前の春休みに、左足に入れたボルトの抜釘のため、再度、病院に入院し、手術を受けました。この時、念の為に松葉杖での歩行の確認を理学療法士にしてもらいました。この時に、初めて理学療法士というものが意識に上ってきました。進路について考えていた時期だったからかもしれませんが、こんな世界(職業)があるんだと思いました。

 その後、進路情報誌やら、進路説明会、高校の先生への相談などを通して、理学療法士のなり方について情報収集をしました。理学療法士になりたい思いは日に日に強くなったためか、世界が少し明るくなったのを感じていました。とはいえ、僕が受験をする頃は学校も少なく、大阪府に専門学校・短大が10校もなかったと思います。大学はまだありませんでした。なので、理学療法士養成校(専門学校・短大)の倍率は10〜20倍、それ以上のところもありました。僕は、正直勉強は苦手だったので、人気校は不合格で、できて2年目の専門学校に合格しました。あとから知ったのですが、新設校のため、あまり宣伝しておらず、倍率は3〜4倍でした。助かりました。

専門学校時代

 専門学校に入学してからは、それまでもそうでしたが、絵に描いたような真面目な学生だったと思います。初めて触れる解剖学、体の動きの学問である運動学は非常に面白く、眠たくてもこれらの教科書を読めば目が覚めるという、勉強が苦手な僕には経験したことがないことを経験しました。

 専門学校では、臨床実習というのがあります。今ではもうないですが、まぁ寝れませんでした。さらに、僕が学生の頃は、レポートはパソコンではなく、ワープロでした。「書院」「感熱紙」とか言うと、懐かしく感じる人は多いんじゃないでしょうか?僕が使っていたパソコンは姉のお下がりだったため、結構旧式でした。15枚くらいのレポートの印字に2時間位かかっていたように思います。「インクリボン」(懐かしいでしょ?)の交換などもあるため、寝るわけにもいかず、朝方に印字するのですが、この時間にオフロに入っていました。もう経験したくはないですね。若いからできたという感じがします、馬鹿でしたし。

 1年生で1週間の実習を1回、2年生で3週間の実習を2回、3年生で8週間の実習を2回行きました。3年生の2回目の実習で不合格になりました(不合格の原因はサブの指導者と合わなかったこと)。この時、世間はクリスマスで、すごーく辛かったのを覚えています。年が明けて、1月から再実習だったのですが、卒業そして国家試験2ヶ月前のことです。なかなかの不安感の中の実習でしたが、実はこの実習が一番勉強になりました。 再実習の時は指導者の先生は、独特な理学療法士の先生でした。先生について見学していると、先生は「次の患者は〜〜疾患の人で・・」と説明してくれます。その患者さんの前に来て、先生は「じゃ、後やって」と言うんです。僕は「え?は?」となります。実習で患者さんを見るとなると、カルテを確認し、面接させてもらって、検査や測定して、プログラム立てて、実施する。そのすべての工程で指導者の確認、指導があるのが実習です。それをいきなり「後やって」って、、、。つまり、患者様は実際の患者さんですから、その患者さんのリハビリの時間(20分)で、検査測定し、自分のできることでプログラムを立てて対応しなければいけません。未熟ながらもなんとかやり終えましたが、このときの何例かの経験が、その後の理学療法士人生において、大いなる糧となりました。

 その後、実習は無事に終わり、国家試験を受けて、理学療法士となりました。

理学療法士になって

 理学療法士となり、最初の職場は約300床ある病院でした。そこには2年間働いていたのですが、整形外科疾患の患者様をはじめ、脳卒中の患者様、下肢を切断された患者様など、すごく幅広くいろんな患者様を担当させていただきました。

 次に勤めた病院が199床の病院で、ここでも幅広くいろんな患者様を担当していただきました。ただ、前の病院ほど急性期(病気になってすぐの人が入る病院)ではなく、疾患を患われてから長期に及ぶ患者様もおられました。ですので、このときのは病気になられてからすぐの患者様のみでなく、長期に及ぶ患者様も担当させていただきました。

 その次の病院が66床の病院で、整形外科疾患の患者様が多いところでした。特に、僕が入職したときには外来の患者様が多く、腰痛の患者様、骨折後の患者様、肩関節周囲炎の患者様、変形性膝関節症の患者様など経験させていただきました。

 また、これらの病院勤務の間、休日には、通所リハビリ(デイケア)、訪問リハビリ、研修会の講師などを経験させていただきました。

理学療法士から整体師

 一貫して、整形外科疾患の患者様に対する理学療法に興味を持っており、その興味は徐々に大きくなるとともに、整形外科の患者様が多いところへ移っていったような気がします。

 整形外科疾患患者様に対する理学療法の中でも、特に自分の手を使って患者様を治療する方法に興味がありました。その中には徒手療法と言われるもの、厳密には徒手療法の中には入らないもの色々ありましたが、主に関節に対する治療方法を色んなところに学びに行っていました。

 徐々に、患者様を治せるようになってくると、さらに面白さ、奥深さを感じるようになりました。そして、技術を向上させるため、研鑽を積む中で、ある思いが生じてきました。それは、自分の技術をもっともっといろんな人に使いたいということです。「いやいや、病院でやってるやん。」と思われるかもしれません。実はそうではありません。病院での理学療法は何らかの疾患を持った人が対象で、適応には規定・制限があります。施術の対象となる人全てに実施できるというわけではありません。なので、自分の持っている技術を病院に来る人のみでなく、もっとたくさんの人に自分の技術を提供したいと思い、整体師となることを決意しました。

 なんだか自分の生い立ちを振り返ったみたいになってしまいましたが、自己紹介とさせてください。こんな院長がいてる「うごきスムーズ整体院」をよろしくお願い致します。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次